川原正方

ɐʇɐʞɐsɐɯ ɐɹɐɥɐʍɐʞ

1/23日録

潰れたタピオカ屋が都知事の事務所になっているのか、ベタベタとポスターが貼ってあった。それとも不動産の持ち主が気を利かせて貼ったのでしょうか。どちらにしてもドン引きだけど。

  

 

職場近くの古本屋の均一棚で『飛ぶのが怖い』(柳瀬尚紀訳)を見つける。ボロボロでも構わないので買う。どうせ文庫だし、コレクターでもないし。店内でもベイリーの文庫を、安い方を選んで買ったよ。

 

 

とあるひととなんでもない世間話をしていた。そのひとが言うには「僕らが若かった60年代70年代は消費社会じゃなかった。働いてるのが普通だった。余暇で遊ぶようになったのは80年代頃から」と言っていて、ほんまかいなと思わないでもなかったが、それが真だと仮定すると、彼らは青年期から壮年期にわたって、世間の価値観やあり方が変わっていく瞬間を目にしたのだな、と思う。

感染症の状況のなか、いまはあんまり目にしないが少し前までは「ニューノーマル」、今でも目にするのが「新しい生活様式」という言葉がある。この一年でそれらが徐々に生活の中に入り込んでいく様は、形は違えど「余暇で遊ぶようになった」景色が見え始めた頃は、このような気持ちになったんだろうかと思う。

 

 

ここ最近はずっとSFを読んでいる。去年は現実に起こっていることを読んだり調べたりをずっとしていたので、年末くらいは虚構を楽しむぞと思ったら、やはりというか、尾を引いている。

名作と名高い『ソラリス』がやっぱり面白かったり、『タイタンの妖女』はそれなりだった。

物語の構築も大事だなと思うが、扱っている題材がそもそも面白いかもかなり重要だなと思えてきた。それでいてつまらないものもある。題材に対して作者が深く考えきれてないんじゃないかと思うものもあるし、その深さを書ききれる体力がなかったのかなと思うものもある。

形式は全く違うが、戯曲で書くときに、小説で面白かった題材が生きるわけではない。上演を前提とするのだから細かい動きや道具から、話の構造はそう言った形式に依存する。小説だから生きる題材があり、戯曲、あるいは映画やドラマで生きる題材がある。これは大前提。

そういうことを考えながら、『惑星カレスの魔女』はアニメだなあとか、『渚にて』は戯曲で行けるかなあラストが小粒になるなあとか、そういう妄想をしていた。『虎よ、虎よ!』がアニメ化するかもしれなかったということだけど、これはぜひ今でもしてほしいと思っている。ネットフリックスとかでやってほしい。グロイところとかは遠慮なくグロくしてほしいし、迫力は常に惜しまず全力疾走な感じが良いと思う。キルラキルみたいな。あそこまでポップにしたら興ざめかもしれない。

とか。でも、個人的な好みはやっぱりハードSFと呼ばれるところなのかもしれない。イマイチこのジャンル判ってないんだけど。

 

 

さ、飯でも食うかな。