川原正方

ɐʇɐʞɐsɐɯ ɐɹɐɥɐʍɐʞ

1/30日録

職場近くで選挙運動が始まった。候補者の2人が同じ道を走っており、「ありがとうございます」「よろしくお願いします」「〇〇でございます」「ありがとうございます」と交互に喋っており、ジャズだと思った。

 

 

 

昨日はSさんとKさんが家に来て、きりたんぽ鍋を食べた。Sさんが店で鍋つゆを作ってきてくれて、2リットルのペットボトルに詰めて持ってきてくれた。鶏ガラでとったつゆは甘く、たいへん美味しかった。

Sさんとあまり交流のない同居人が、会う前の数日ビビっていたが、当日に酒を積極的に飲むことで解決を図っていて、英断だと思った。

 

 

鍋を食べる前に妙に腹が減ってしまい、残っていた冷や飯とキムチで雑炊を作った。いりこだし+昆布だしをお湯に溶いて、ナンプラで味付けし、溶き卵を入れた。海苔もちらしちゃったりして、熱々のまま供する。まあ美味しいのだけど、ふとゆずこしょうをいれてみようと思い立った。これが大正解で、ものすっごく美味しかった。さらに美味しくしようと粉チーズをいれたら大失敗で味が濃くなりすぎたし、チーズが浮いていた。どっちか一つにすべきですね。とはいえゆずこしょうが最強すぎて、チーズ出る幕なし。

 

 

いま(1/27)って非常事態宣言下なんだっけ? 世間ではみんな家にこもっているんですかね。今日は電車で座れなかったけど。

 

 

『ハイライズ』を読んでいる。面白い。去年考えていた「テレビ的なもの」の話だなと思う。大きな思考と個人の思考が区別されず、またそれぞれみんながそれを区別していないところが、構成としても文章としても巧みだなぁ。創元SF文庫から出ているが、これってSFか?と思わないでもないが、1975年では1000人はいるマンションというのは未知の世界だったのかもしれない。そして大型マンションは、明らかにテレビと相似の関係として描かれている。これからは宇宙よりもむしろ「テレビ的なもの」が未知の世界だと捉えたのだろうか。

 

それで思い出したことがある。モンゴルでは遊牧民たちが定住地を持たずに暮らしていた(遊牧してるんだから当たり前だけど)。ところがある日、中国政府が遊牧民たちにも土地を区分けさせ、その境目には鉄条網の設置を義務付けた。すると、今までにはない「所有」をめぐるトラブルが増えたという。

『ハイライズ』そのようなアイデアの小説なんだろうな、と半分ばかり読んで思った。「テレビ的なもの」はその後に出てくるのだろう。

 

 

承前して、もう少し読み進めた。モチーフはテレビからSNSへ、つまりさらに閉じた世界へうつり、人間の生活は退行する。個人の意思よりも大きな意思が強くなり、ラングたちを突き動かす。とにかくそれを表す文章が巧みで感心することしきり。

この時代にSNSなんてないはずなのに、いま読むとそうとしか思えない描写がある。

 

エレベーターの箱の内壁には、さながら狂人の訪問者名簿といった感じで、なかには高さ三フィートもある数字がなぐり書きされており、ラングは鉛筆で自分の階のナンバーを書き込みたくなるのを我慢した。

 

このあとラングはマンションの外に出ようとして、結局自分の部屋に戻る。マンション内に起こっている混乱に馴染めないものは去り、残っている者は辟易としつつも半分は迎合している。それが高じて外の世界を捨て始める。

SNSと比較すると、少々大袈裟ではあるものの、参加することで共同体の意思に同意する性質は相似している。

それでちょっと思ったけど、この小説的な見方でいくと、Twitterとか大型のSNSってテレビの延長線上にあるのかもしれない。下世話で、偏っていて、暴力的。

 

 

『ハイライズ』を読了。途中で映画化していることに気が付いた。

ワイルダーが登高を繰り返し「上階」の住人達に倒される構図や、宝石商を殺した人物が最後まで判らない(マンション自体に殺された)ところなど、判りやすく面白いところや、SF的発想で1970年代当時の「現代」をとらえているところなど、非常に面白い。

映画も見たい気はするけど、ネットフリックスにはないねえ。