川原正方

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日録2/27

ここ最近、たまに風呂からお湯が出なくなることがあった。火をすればつけ直したりすれば湯は出るのだが、一度、24時間ほどずっと湯が出ないことがあった。戸惑ってガス会社を呼んで点検してもらったら、その時は「寒いと、固体も気体も体積が減ります。ガスも同じで、体積が縮んだ分、最初に普通の空気が出るから火のつきが悪いんでしょう」と言われた。

 

その時は納得したが、いま考えればその説明ではありえないことが幾つかあった。我が家はバランス釜で、浴室内にガスの元栓がある。が、外にあるガス管からきたのだから、最初から体積は変化したまま風呂に送られてきているはずである。初めは火がつきにくいとはいえ、24時間つかないというのはありえない。

それで、点検後は多少難はありつつも使えていた。

だが、先日、再び24時間以上お湯が出なくなった。仕方がなく、台所の給湯器からお湯を出し、ガスコンロで湯を沸かし、濡れたタオルで体を拭く「行水スタイル」での入浴で一晩しのいだ。

冬の風呂場、頭の中を「みじめ」という言葉が広がってゆく。強い怒りが湧いて、囚われていた。

自分にとって、入浴は「最低限文化的な生活」の範疇それ以上のものである。生きるために絶対必要な行為だ。食事と睡眠の次に必要だ。それをいま、何かのせいで奪われている。

翌朝も日課のシャワーが浴びられず、必要な各所に電話をして点検を依頼した。

午後、点検で、着火部が腐食しておりパーツの交換あるいは風呂釜の総入れ替えが必要だということがわかった。

おさまっていた強い怒りが、再び湧き上がってくる。

基本的な人権が奪われている。何のせいだ? きちんと整備しなかった大家のせいか? 1度目の点検で気付かなかったガス会社のあいつか? 答えはどちらのせいでもある。丁寧に見れば気づけたはずのものを、丁寧に見なかったから気付かなかった。許せない。強い怒りがそう考えさせた。

 

パーツの交換のみで済ますか、総入れ替えするかは大家の判断になる。前者なら約一週間、後者ならもっと時間がかかるという。いま現在、大家やガス会社から結果の連絡は来ていない。風呂の話なんだぞ、早くしろよ。強い怒りはおさまらない。

 

しかし、「寒さで体積は〜」とはガス会社の言い訳の常套句なんだろうか? まあ、本当にそういうことがあるのかもしれない。冷静にならなければとは思うが、そうできない。

ひとは「惨めだ」「奪われている」と感じると、これほども強い怒りが出てくるのだと改めて思った。

 

話は違うが、人種差別等、差別のことを強く非難できない人って、個人的にはずいぶん裕福で運の良い生活を送ってきたんだなあ、と思う。自分のことじゃなくても、差別が人権の剥奪だということを想像できない人は論外で最悪。

 

 

上記のことがあっても、とりあえずこれさえやれば気を取り直せるというゲームを最近やっている。

まあ、マイクラなんですけど。しかもPS3版。

マップ狭いしパージョンも昔のなんだけど、ぬるいプレイでそれなりに楽しめるのですごい。

PC版持ってるんだけど、同居人と一緒にプレイするにはPS3じゃないと無理なので、こっちに安住している。

このゲームでは、仮想現実内で「リアリティ」という枷をかかえて、どれだけ現実を超えられるかというところを楽しんでいる。

 

 

今日気づいたんだけど、Avram DavidsonのThe Phoenix and The Mirrorは電書は134円で買えるのね。もしかして1ドル+消費税ってこと? うっかり買っちゃった。