3/11日録
人の前で上手く話せない体験談がふたつある。忘れないうちに記しておく。どちらも学生時代のものだ。
ひとつは『探偵ナイトスクープ』関連。
ある日、昼食に昨晩のおでんをレンジであっためて食べながら、YouTubeで過去の『探偵ナイトスクープ』を違法視聴していた。
番組の有名な回で、卵が食べてる最中に爆発した、というものがある。有名なので調べたら出てくるはずだ。
レンジで温めたゆで卵を食べるとポン!とはじけて、桂小枝が「熱い熱い!」と騒ぐ。
それを見ながらヘラヘラ笑っていたら、かじった途端おでんの卵が爆発した。
その時はとても驚いて混乱したが、桂小枝の卵が爆発したのとほぼ同時に自分の卵が爆発したことが面白くて仕方がなくなってきたのだが、筋だけ確認すると明らかに「嘘っぽい」のだ。
しかも、嘘だとしてもそれほど面白いわけではない。
これは「本当」だから面白いのだけど、どう考えても「嘘っぽい」としか思えない。面白いのだけど「面白い」と感じられるのは体験した自分だけで、他人にこの面白さを追体験させられるのは、相当な話術の持ち主だと思う。
また別の日、バイト帰りに自転車で帰路を走っていた。すると自転車に乗った女子高生が、手元を見ながら向かってくる。スマホいじりながらチャリは危ないな、と道の端にそれた。
自分の横を通り過ぎた女子高生の手元を見ると、持っているのはスマホじゃなくてドラマ『時効警察』のノベライズ本だった。しかも単行本の方。
これは日時は忘れたが2015,16年のいずれかの出来事だ。『時効警察』の三期はもちろん発表されていないし、ドラマが終わったのはずいぶん前のはずだ。この話も「あまりに『時効警察』っぽすぎる」ということでひとに話して笑いをとれる自信がない。
笑いの質もオフビートすぎるし、何より「嘘っぽい」。でも実際にあったのだから仕方がない。
上記二つとも、思い出せば思い出すほど「これは本当にあったのか?」と思うほど作り話っぽく感じるが、こんなどうしようもない話を思いついたって仕方がない。
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毎晩PS3マイクラをやって、12時頃に眠るのだけど、それがいけないのか、今朝は妙に眠くてたまらなかった。
そのように、眠気を我慢してまでマイクラをやっているので、高じてPS4を買ってしまった。もちろんマイクラも一緒に。
これからプレイするけど、新しいゲームのハードを買った時は、特有のドキドキ感があるなぁ。子どもの頃からゲームを買ってもらえるのは限られていたし、大人になっても金はないままだったので、ずいぶん久しぶりの「新しいゲーム機」だ。これから世界が広がり、自分を待っている。大げさだけどそんな気持ちになる。
マイクラの楽しさは「リアリティという枷の中でどれだけ現実を越えられるか」にある、とおもってやっているが、思えばゲームの楽しさの一部はいつだってそれで、上記のドキドキ感はそれなのではないかと思う。ポケモンをやる時でも、モンハンをやる時でも、ゲームのドキドキの原初はそれだったのではないか。
しかし、いつからかゲームをやらなくなった。理由はいくつか思いつくが、まあ飽きたのだろう。ここ最近になって再熱してるのは、同居人と、つまりひとと一緒にゲームをやるのはほとんど初めてだからだろう。
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死者をどれだけ追いかけても生きかえるわけではない。この事実だけで死んでよい人間なんて一人もいないと思う。
ここ最近、ある死者のテクストを貪るように読んでいる。某氏の言うように「摂取」といった方が近いかもしれない。
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今日(3/10)はあったかいねえ。
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と思ったら夜は寒い。花粉症のひとは大変そうだな。自分もそうだけど、別件で抗アレルギー剤を服用してるもんでそんなに気にならない。朝晩は症状が出るけども。
同居人は何故かアレルギー剤を飲みたがらない。「つい今日は平気なんじゃないかと思って」というが、自分は平気だろうがそうじゃなかろうが薬は飲む。一歳半ばにはすでに薬漬けの身だ。薬を飲まないことがない。
でも、これはそんな自分だから麻痺をしていて、大多数の人は薬を飲むことに抵抗があるのではないか? そこまで極端ではなくとも、多少の不調は気合でカバーしたり我慢したりするんだろうか。薬を飲んでも多少の不調がある身としては、薬を抜いた時の方が面倒なんだけどなぁ。
つい「薬飲めばいいじゃん」と言ってしまうので自制をする。
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ゲームで『No Man's Sky』というのがあって、それをぼちぼちやっている。自動生成されるいろんな惑星にいくのだが、まあ気味が悪い惑星が大量にあり、それを眺めているのが楽しい。おおざっぱにストーリーがあるので、ひとまずそれに従っているが、最近はちょっと逸脱して好き勝手に惑星をふらついている。苦手な戦闘も少なく、やってて気が楽だ。
もっとゲームに没入したいのだが、まあ、ひと月ほど仕事を休まなきゃ無理だろうな。暇があるときにもっとゲームをしておけばよかったなあ、と思わないでもない。
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震災関連で必ず思い出すことがいくつかあるが、岩手は花巻の親戚が震災当日にハワイに行っており、12日に帰国した。電話口で「11日にはハワイでロコモコを食べてたのに、こっちに帰ってきたらおかゆ食べてるよ!」と、全然聞き取れない東北弁で言っていた。それぞれの震災があるな、と思う。
この話は、とりようによっては「この大変なときに、なんてのんきなことを」と思ってしまう。余裕のあるときには「まあ、そういうひともいるだろう」と思える。
自分は今、この話をどのように受け止め、解釈できるだろうか。この電話が来た3月12日、この話は妙に生々しく、けど時間が経てば笑い話になるだろうというような予感があった。十年経って思い返している今では、ただ「そういう経験があった」という、ぽかんと宙に浮かべるような受け止め方しかできない。
風花に仰ぐ蒼天春になお生きてし居らばいかにか遭わむ (岡井隆)
短歌を引用して茶を濁しておく。
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花巻で思い出した。ものすごく美味しいパン屋さんがあるのでメモしておこう。
胡桃の底力を軽くトーストし、クリームチーズを塗って生ハムをのせて食べると、飛び上がるほど美味しい。パンクズクッキーに関しては、目の前にあったらあるだけ食べてしまう。今度、何かにかこつけて通販しよう。