川原正方

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8/10

『わたしの本当の子どもたち』についてのことを考える。「技術と倫理の前進には犠牲が伴い、それはわたしの隣にある」話と読める。ある種の希望が前提にあることを感じるが、実際いまの日本で読むと「犠牲が増え続ける後退そのもの」が日常を覆い、希望はどこか別の世界のものでしかない。

つまり、わたしたちには子どもなんていなくなる。それは犠牲になるか、犠牲そのものでしかなくなるから。それが社会にとっての絶望である。

 

 

 

祖父の葬儀。色々あったが、喪主が荼毘にふすボタンを押した瞬間に、祖母の弟が喪主を指して「これであいつも人殺しや……」と呟いたのが、一番意味がわからず面白かった。

あとは、告別式の夜に祖父宅の居間で雑魚寝をした。親戚類が6名まとめてだ。すると父親のいびきがあり得ないほどうるさく、たまらず居間を抜け出て玄関のマットの上で寝た。

『大阪豆ごはん』の菜奈子状態である。

それでもど田舎は涼しくて寝やすかった。

祖父にいまの同居人の顔を見せてやれなかったのは残念だ。

 

 

『猫の街から世界を夢見る』を読んだ。非常に面白かった。

この物語の「覚醒した世界」をフェミニズムを会得した女性の行く場所と解釈するのは、違うと思う。これは男性=「夢見る人々」が作り出した世界からの脱却についての物語じゃないだろうか。ラヴクラフトは読んでないけど、解説を読んでそう思った。

ヴェリットは「神々のいる世界」からの脱却を目指す。

しかしその生徒であり「神々のいる世界」から脱出したクラリーは、「世界を変える」ために元の世界へ戻る。

この流れはとてもフェミニズム(をはじめとした権利回復の為の運動)的だと思うが、とても良い、綺麗な落とし方だなと思った。

ガグなどの元ネタはラヴクラフトとのことだが、邦題もラヴクラフトの何かが元ネタなのでしょうか。

 

 

連日家に人が来る。三日前は同居人の姉、一昨日はMとK、昨日はH。

この緊張感のなさは、明らかに正常化バイアス的なものが自分にあるからだろう。明日には同居人の実家へ行き、さらに自分の実家にも行くのだから、もはや宣言を無視している。

まあ、いつか感染するだろうと思って約一年半なので、ここまで来たら感染したくないような気もする。