川原正方

ɐʇɐʞɐsɐɯ ɐɹɐɥɐʍɐʞ

買い物、日録

ずいぶん昔に『あいのてさん』という番組があったらしい。らしいというのは、自分は見てないから。NHK教育でやってて、幼児向け番組だったようだ。2年ほど前に、Tが学生時代好きだったと言っていて、録画した番組を見せてもらった。そしたら1回目からガムランをやってたのでたいへん驚いた。童謡をちょっとアレンジするだけのもんかと思ってたけど、これはガチだと思った。

 それで気になって、CDを買おうと思った。無事に手元に届いて、仕事が終わったら聞くぞとウキウキしていたらCDを持って帰るのを忘れた。届け先を会社にするのは今度からやめよう。とは言いつつ、ほとんど家にいないんだよなぁ。

 

 

そういえば、その『あいのてさん』の中で「ワニバレエ」というコーナー?があった。おじいさんとおばあさんのジェスチャーしてから、ワニのフリを入れたバレエを踊るという謎のコーナーで、Tはこれがとても記憶に残っていると話していた。

ワニバレエ」というメロディはシンプルながら記憶に残るメロディで、たしかに子供は好きそうだった。

ただ、その時自分の興味を引いたのは、ワニバレエを踊る男性だった。明らかにプロのダンサーで、老爺の身体と老婆の身体を一瞬のうちに演じ分けていた。調べると白井剛氏というダンサーで、数年前関西に住んで観劇に精を出していた自分は「あ、見たことあるな」と思った。

 

 

2人暮らしをしていて、何度もこれはやめておこう、気をつけようと思っていることがある。同居人の料理をみて口を出すことだ。長い間一人暮らしをしている中で、料理のルーティンみたいなものを身につけて、あるいはどこかで知恵をつけていく。そしてそれを正解だと思う。実際、作ったものは美味いと感じ、満足している。なので、同居人が自分の作り方と違うと口を出したくなる。たまに行く飲み屋の店主に「おれ奥さんが料理してるところに絶対近づかない。口出してケンカになるから」と言われたことがあり、そんなもんかとその時は思ったが、いまは身に染みてわかる。ケンカにはならないが、あ、口出しちゃったなと後悔する。マンスプレイニング的嫌悪を自分に感じる。というか、出来上がってくる料理は美味しいのだから、とやかく言わず食べてれば自分としても楽なのだ。

何で口を出すのだろう。意識的にやめようとしているのに出てしまう。はたから見たら一番嫌いなタイプの人間だな、と思う。

 

 

靴が届く。最近はインポートの靴が店頭に並んでいない。今シーズンのものであればあるほどそうだ。仕方がなく、amazon.ukを利用した。「一時的に在庫切れ」だったが、注文を入れると入荷が決まった。たぶん、届くまで1、2ヶ月ほどかかったと思う。

海外輸送を指定すると、支払いがすこし面倒になる。レートを固定するのにもお金がかかるし、シッピングも高い。

でも、届いて、履いてみると、そんなことも忘れた。ちょっと普段と雰囲気の違うものだが、気に入って買ったデザインなので嬉しくなった。

今日は歩いていると下を向いてしまう。靴が目に入るから。

 

 

先日作った美学論考同人誌を発送した。執筆を依頼した牧野氏が何を書くか知りたかったので作った本だったが、自分も論考を書く羽目に……というか、書く気で企画したのだが、手をつけ始めると片手間では出来ず、内容の執筆と事務的な手続きに終われた。

以前ザッパのディスクガイド本を作ったときは、わりあい時間があったのでゆっくり作れたし、そちらはある程度は売れる予感があったので、ひとまず元はとれた。

美学論考同人誌は、中身はそれほど古びるものでもないので、ゆっくり売っていけばいいかと思う。前回は知り合いの古書店の店主が買い切りで仕入れてくれたので、今回も買ってくれないかなと淡い期待をしている。

 

 

同居人の具合が悪くて寝ている場合があり、そういうときは「食事は用意してません」というようなメッセージがくる。じゃあ何か買い物をしていこうかな、とスーパーに行き、晩飯の事を考えながら食材を買っていく。

たくさん料理を作りたい気分だったので、わりあい簡単な料理をまとめて作った。で、こういう時に嬉しいのは、明日の朝ごはんの仕込みが豪華になること。普段はどうせ朝だし、と思ってあんまりこだわらないんだけど、この時はアサリを酒蒸しして冷まし、貝殻を取り除いて炊飯器に入れ、アサリご飯を仕込んだ。顆粒の昆布出汁も入れたので、一応合わせだしだろうか。他に菜の花とほうれん草の胡麻和え、筑前煮、それと晩飯の豚とアサリのアレンティージョ風。

冷蔵庫に残っていたきんぴらごぼうを食べてタッパーを空けつつ、晩酌しつつ、料理をした。翌朝のために塩鮭(カマ付)を買っておいたので、ウキウキしながら寝た。

起きて、普段通りもっと眠気でグズグズしたくなるかと思ったが、自分が思っている以上に塩鮭が食べたかったのか、テキパキと起き、シャワーを浴びた。

しかし塩鮭は美味い。アサリご飯も美味しくできたので、非常に嬉しかった。

 

 

上の晩飯のあと、あいのてさんのCDを持って帰ってきていることを思い出し、聞いた。まだ通して聴いていないが、あいのてさんエンディングテーマ~イシ・テクノ~ピンポン・マリンバがとても良く、買ってよかったと思った。こういう、サブスクにない音源は買わなければ仕方がない。少し前まではそれが普通だった。

サブスクのお金の払いに関していい噂は聞かない、という噂を聞く。自分は直接そのようなことは知らない。あるいは見ないようにしている。そういう噂の裏を取っても、サブスクを使い続けるだろうということはなんとなく予想できる。便利だからだ。

その噂を知った後に、罪悪感・後ろめたさを感じながら使うのなら、知らない方がマシだというのはもちろんのこと、自分がサブスク等から「搾取される側」にはなれない。なりたくはないが、同時に完全な同情もできない。結果として「開き直る」か「CDを買う」という極論を選ばされるしかないのはたいへん不健全だと思うので、Spotifyはきちんとアーティストに還元するように。

いま自分でSpotifyを使う自分が悪いんじゃないかと思ったけど、Spotifyがきちんと金払えばいいんだからあいつらのせいだよ! きちんとしてください、ということで他人に責任を転嫁すると同時に問題から目をそらす。

そろそろ2020年ベストをきちんと作る時期だな。各所が公開する2020年ベストをランク付けする「年間ベスト・ベスト」を作ろうと考えていたけど、性格が悪すぎる上にこれといった準備もしていません。そもそも世間ほどニューリリースに興味がないかもしれないなあ。

 

 

コロッケを食べたいなあ、と思い、まず初めに検索したのがレシピではなくマッシャーの値段だった。

 

 

うちの会社にようやく切手の注文書が導入された。それまではコンビニか、少し離れたところにある郵便局まで行って買っていた。どうせコンビニは毎日行くし経費で落ちるのだから、気が向いたときに買っておけばいいのだが、面倒で誰も買わない。結果として、無くなってからようやく補充される。

この間、郵便局で大きい買い物をする機会があったらしく、それを機に導入された。どうせ郵便物も毎日あるのだし、この会社に渡したってたいした面倒でもないだろうと思ったのだろうか、配達員の方が注文書をくれた。

まだ切手使わなきゃダメなのかよ、と思わないでもないが、仕方がない。いまの仕事ではFAXも使うし、スティックのりも使う。昭和かよとゲンナリするので正気に戻ってはいけない。

そういう中でやっていくには「あえてそうしているのだ」というメンタルを持たなければならない。おれはいま「あえた」なのだ、スティックのりを使用しているのはなんでも便利になった世の中に対するアンチテーゼなのだ、と。

その頂点に達したときには、鉛筆を持てなくなるまで使い、それをさらに補助軸で固定できるギリギリのところまで使った。最後の方は完全に義務感だけで使っていた。芯を削るのがかなり危なっかしくて怖かった。やがて、鉛筆を使っていると補助軸が固定しきれず、字が書けなくなった。そのときに、初めて鉛筆を使い切ったな、という達成感を覚えた。

すぐに捨てて消えるボールペンに切り換えた。

何が鉛筆だバカ、何がスティックのりだ、メールで済ませろバカがよ。