麦茶、日録
日曜日に遅めの昼飯を食べていたらSさんから電話がかかってくる。飲みの誘いだ。
同居人を置いていくのは忍びなかったが、Sさんはここ最近なんだか大変そうだったので、ねぎらう意味も込めて、誘いにのった。
しゃぶしゃぶを食べながら飲み放題で酒を飲んでいると、話の流れて「うなぎ食おう」と言い出した。
「うなぎと熱燗で一杯やりてえんだよな」
「いいですねえ。そういえば白焼き食べたことないんですよ」
「うざくは?」
「ないです。蒲焼以外食べたことないです」
「おお、じゃあ奢ってやるよ」
なんだかねだったようで申し訳なかったが、いまこの会話を冷静にみるとストレートにねだってるので申し訳ないもクソもない。
で、初めて白焼きとうざくを食べたけど、たいへんおいしかったです。
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うなぎ屋から少し歩いた場所にある居酒屋で、一度家に戻ったSさんを待ちながら飲んでいた。
店のテレビではM-1が流れている。
以前は熱心に見てたものだけど、最近はさっぱりだなあ、と思いながら鑑賞。笑いのツボがさっぱり変わってしまったので、あんまり笑えなかった。笑ったネタもあったけど、泥酔時の記憶は彼方に消えた。
それで、飲んでると同居人がやってきた。呼んだからきたのだけど。
それから客と話しながらM-1を見てると、漫才中に大きな声で面白くないことを叫んでいるコンビがいた。面白くないのになあ、と思っていたのをなんとなく覚えている。
会計をして、家に帰るまでの記憶がなくて、寝た記憶もない。気づいたら3時過ぎで布団で寝ていた。
日が昇って自分も二度寝から覚め、同居人に「昨日の記憶がない」というと「だと思った」と言われた。
朝食をとってると、同居人は「昨日のM-1見ながら言ってたこと覚えてます?」と尋ねてきた。さっぱり覚えてないというと「優しい漫才とかいらんねんおれはいつまでもトガっていたいねんって言ってたコンビに「そのスタイルで笑いをとろうとする姿勢があさましい」って言ってました」とのこと。
いかにも自分が言いそうなコメントだったので苦笑した。
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出社最終週、とされている。本当に出社しないかは不明。まあそれはいいとして、最近、会社で麦茶をたくさん飲む。パックしかゴミが出ないので洗い物が楽だし、一つのパックでたくさん抽出されるから。
味とか香りは緑茶の方が圧倒的に好きなんだけど、カフェインもあるし、逆流性食道炎の気があるから胸やけがね。
カフェインレスの緑茶はさすがに存在しないようなので、科学の発展を待つばかり。
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で、麦茶を飲む理由はもうひとつある。
先日、何度目かの『ヨコハマ買い出し紀行』の再読をしたから。
作中でココネがよくムサシノの国で飲んでる麦茶を見て、以前は「なんで麦茶がコーヒーと同じようなテンションで売られてるんだ」と思ったけど、今回読んでようやく「穀物や植物を耕作する土地・人手のリソースが無いんだ」と気付いた。
いま『渚にて』を読んでいるが、この小説の好きなところは「死が迫る世界で淡々と過ごす死を受け入れ(られ)ない人々」の書き方で、自分の好みにものすごく刺さる。
成長する子供の未来を心配する妻に「未来は無い」と宣言しなくてはいけない夫とか、亡くした妻のことを想いながらも目の前の女性と恋に落ちようとする男とか、ドラマティックなものを用意しながらも、登場人物は皆6ヶ月後には死ぬ運命にある、と読者は宣告されている。
そういう「付加」をかけられた日常の中で、人々は何を語らないのか、語るためにどれだけの馬力を必要とするのか、そういう目に見えないものの書き方が好みなのだった。
で、『渚にて』を読んでいると自然に思い出されるのがMONOの『はなにら』。シチュエーションは違うけど、土田さんのセリフや演出の方向性が『渚にて』と似ていて、まあそれもあって好みなんだろうなあ、と思い至った。平田オリザ氏や松田正隆氏よりは柔らかいしね。
そんなことを考えながら麦茶を飲んで、ココネたちの飲む麦茶もこのような味だろうかと考えている。
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今朝道を歩いていると、果汁グミのパッケージそっくりの「国産CBDグミ」のゴミが落ちていた。CBDってマリファナの抽出物じゃ? と思って調べたけど、そういう成分が入ってるだけなら合法なのね。
よくよく調べたら夏あたりに飲んだCHILL OUTってジュースにもCBDが入ってた。
思いがけずCBD初体験を済ませていたわけだけど、これといって変なことはなかったなあ。
しかし、気づかないうちにマリファナの抽出物を摂取していたって、なんか嫌ですな。害があるとかないとかの問題ではなく。
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今日の晩御飯はグリーンカレーをリクエストしてあるので楽しみだな。
単純な脳みそを持っているので、好きなもんを食べられたら自由を感じてハッピーなのよ。